ご冗談でしょう、ファインマンさん〈下〉 (岩波現代文庫)

ご冗談でしょう、ファインマンさん〈下〉 (岩波現代文庫)リチャード P. ファインマン本書の上巻では若く初々しかったファインマンの姿に触れることができるが、下巻では、成長したファインマンが1人の「物理学者として」物理のみならず社会や芸術とかかわってゆくさまに触れることができる。 どんなに権威者になっても(彼はそう呼ばれるのを何よりも嫌ったが)、彼は決して物理学者としての誠実さを変えることはなかった。サバティカルでブラジルの国立研究所に滞在した彼は「教科書を丸暗記するだけ」の物理の大学教育に業を煮やし、ブラジルの「お偉方」の大学教授たちの前で「この国では科学教育が行われていない」と言い放った。またあるときは、学校教科書の選定委員としてすべての教科書に目を通し、教科書の内容が科学的誠実さを欠いているのを真剣に怒り、他の委員たちと闘った。 彼の信条でもある「好奇心」は年齢を重ねてもとどまる所を知らず、カジノではプロの博打うちに弟子入りしたり、ボンゴドラムでバレエの国際コンクールの伴奏をしたり、また、幻覚に強い興味を持った彼は、旺盛な好奇心からアイソレーションタンク(J.C.リリーが発明した感覚遮断装置)にまで入ってしまう。彼は他人のことなど気にとめず、素直な心で物事を見つめ、興味をひかれたらそれに夢中になる。彼は何より人生を楽しみ、人生を愛していた。 そんな彼の書いた本書に触れていると、いろんなことを話したくってうずうずしている彼が、目を輝かせて楽しそうに自分に向かって話しかけてくれているような気分になる。そんな気分にさせるのは、大貫昌子による素晴らしい訳のおかげでもあろう。訳者はファインマンと親交があり、彼に相談しながら翻訳作業を行っているため、原文の持ち味が十分に表れている。(別役 匝)
ファインマンの自伝が文庫になった
ファインマンの自伝が文庫になった。

物理学の教科書といえば、ファインマンのが分かりやすい。

そのわかりやすさの源泉がこの本から伝わってくる。

せっかくこの自伝を読んだ人は、ぜひ、ファインマン物理学も読んでみてください。

ちょうど、高校2年生が読んで、理系に進もうと思ってもらえるのが一番嬉しい。

お子さんが高校生ならぜひ、買って居間になにげなく置いておいてください。

ファインマンに会ってみたかったなあ
大学時代に、ファインマン物理学の本のわかりやすさに感動しました。その物理学の教科書に、ファインマンがボンゴを叩いている写真が掲載されていましたが、その背景もこの本を読んでわかりました。この本のエピソードの一部については、ファインマンの肉声のCDも発売されていて、通勤車内で聴いていると思わず笑ってしまい、でもとても勇気をもらいます。間違っていることは権威者にでも間違っているというファインマン、一方で、誰にでも暖かい思いやりを持っていたファインマン、彼のレター集を併読することによって、ますますその人柄を愛さずにはいられません。

最高。凄い面白い。が、準フィクションであることは注意したい
 上下ともに面白く、ファイマンが語った準フィクションを集めた本。

(純粋な自伝的エピーソード集という以上にフィクション度が高いとのことだ)

 まず、読み物としての面白さだけでも、すこぶるつき(これは上下ともに)で、3回も読んでしまった。

 そのように、大変に面白い本でありながら、下巻は別の意味で注目に値する。

 なんというか、ファイマンが疑似科学的な主張や領域に対して抱く、好奇心と懐疑精神の融合が

いかんなく発揮されている話が散見され、そういう意味でも読む価値がある。

催眠の被験者としての詳述や、感覚遮断タンク、虫の知らせ、などなどなど。

 不思議なことに驚嘆し、知的好奇心を持つということは、チンケな超常現象に対してかたっぱしから、

「心を開く」ことではなく、事実へ対する愚直なほどの誠実さ―科学的懐疑精神―によってこそ、

本当に価値をもつのだ、ということが伝わってくる。

 私は一生忘れないだろう。

リチャード・ファインマンという科学の精神性を体現した男がいたことを。

その男が、健全な懐疑精神を手離さず、同時に好奇心の塊であり続けたという現実を。
ご冗談でしょう、ファインマンさん〈下〉 (岩波現代文庫)

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